日記かもしれん

2020/09/24

アホな大学4年生の日記。

 

小沢健二のアルバムを借りた。なんだか微妙。でもわたしは小沢健二のことが本当に好きなので微妙なアルバムだって好きになれる。好きというのは凄い。

小沢健二のことは、曲を聴いているというだけで、他のことは何にも知らないが、でもすごく好きなのだ。よく知れば好きじゃなくなるかもしれないから、よく知らなくても好きだと言っていいんだ。

もし今の恋人と別れてしまっても、小沢健二が聴を聴けば、ずんずん生きていけるような気がする。別に聴かなくても生きていけるけど、聴いたらずんずん行ける。

距離があった方がなんとなく、うまくいくように思える。離れるのではなく、距離をおく。

 

 

駅のホームでパンを食べていて、その食べカスを鳩が食べにきます。もう、なんでもいいので、鳩と共存しよう、と思ってパンをちぎって鳩にやりました。そしたら鳩が調子に乗って、もっとくれよみたいな顔をし始めたので恐ろしくなって足をバタバタやって追い払いました。それでも鳩はやってくるので電車がくるまでずっとバタバタしてました。パン全部やればよかった。

 

 


もうどうでもいいやと思っているわたしの顔がトイレの鏡にうつったとき、可愛く見えました。駅の駐輪場のおじさんにはごんたさんみたいだと言われました。最近似ていると言われたのは夏川純とごんたさんです。謎です。わたしは誰とも結婚したくありません。室井滋が羨ましいです。

 

 

😡アホな大学4年生、オザケンの話ばかりしますね。

 

 


恋の始まりや終わりは本当にどこにでもあるものなのかもしれない。だからクリスマスにはあんなに恋人がいるのかも。歯に穴があいたわたしは、歯以外の部分にもたくさん穴があいていて、それを自分じゃ塞ぎきれないと思って、男の子に頼ってみようとしたけれど、男の子がみんな穴を塞ぐ技術を持っているわけじゃなくて、技術というものはもともと持っている人もいるみたいだけど、ほとんどの男の子は努力によってそれを手に入れているようです。わたしが頼ってみようとした男の子は半人前で....

 

いや、そうじゃなくって、わたしが頼らなきゃいけなかったのはお医者さんだった。オザケンさんは穴が空いていることを忘れさせてくれるだけ。オザケンさんがかっこいいのは穴を塞ぐために素晴らしいものを生み出してるのよきっと。太宰みたいに穴をさらけ出すのも素敵、わたしにはできないけど。愛される人というのは自分のことをよく知っている。知らないのに愛されてる人は、それは愛されてるけど、その中にちょっとバカにしてる気持ちもあるんだと思う。

お腹が減ったのでパンを食べます。

 

 

小沢健二ははげそうなのにどうしてあんなにかっこいいのと聞いたら、努力をしているからです、と返事がきてがっかりした。オザケンのかっこよさが努力からきているなんて考えたくない。あれは努力なんかで手に入るものではない。可愛いは努力して手に入れられるけど、かっこいいってのは努力なんかで手に入れてもらっては困る。それじゃあ女の子がなんのために努力してるのかわかんなくなるじゃん。かっこいい男の子は、かっこいいというだけで天才だと思う。恋人が臭いのでつらい。嘘だけど。嘘じゃなくなればいい、と思っている。

わたしがあの子に敬語を使いたがるのは、羨ましいからと、あと、あの子とわたしとの間には少しの距離が必要だと思うから。でも、本当はもう少し近づけたらなあなんて思っている。距離感って、すごく大切だと思う。